不器用な君が

神に運動神経を奪われた麗しき小説家、「笑ってくれるなら何でもやるよ」ライブ演出と笑いに全力を注ぐクソガキにぃに、人を駄目にする優しさをもって仲間を守る3枚目演じる歩くゼクシィ、そんな不器用な3人を愛する社会人です。東京ドームは徒歩圏内。

回顧録②書評:「背中に刻まれた悲しみー加藤シゲアキ『閃光スクランブル』(2013年、角川書店)」

背中に刻まれた悲しみー加藤シゲアキ閃光スクランブル』(2013年、角川書店)

 

逃げ出す理由を見つけてしまうと、人は弱い。障害、スキャンダル、愛する人との死別。周囲の人間に同情されるか飽きられるかしてしまえば、何をしようと誰も文句は言わない。しかしその時、自分に問うべきである—―「死ぬように生きて」いて、満足か? 加藤シゲアキの小説『閃光スクランブル』(角川書店、2013年)は、挫折を味わい何もかもを失ったパパラッチと人気アイドル、天敵であるはずの二人の出会いと、再生の物語である。

妻・ユウアとお腹の子どもの事故死を境に、カメラマンとしてカメラを握れなくなった巧。パパラッチの仕事で食いつなぐ「最低」な生活を送る彼が、人気アイドルグループMORSEの中心メンバー伊藤亜紀子と大御所俳優・尾久田雄一の不倫現場を狙っていたある日事件は起きた。二人の不倫が雄一の妻に知られたことで、雄一は亜紀子に別れを切り出す。それに発狂した亜紀子が、土砂降りの道路の真ん中で自傷行為に及んでしまうのだ。その現場に居合わせた巧は死んだユウアの姿を彼女に重ね、自分の車に亜紀子を乗せて友人のもとで匿う。追う者と追われる者――パパラッチとアイドル、相容れるはずのない二人の人生が、この事件をきっかけに複雑に絡み合っていく。

 居場所がリークされ、詰めかけるマスコミから逃れるため巧と亜紀子は逃避行に出る。MORSEのセンターを奪われ、「なんで私じゃないの?」と問う亜紀子に突き付けられたのは「時代とバランス」という努力では補えない現実。彼女の左腕には、ファンに「気持ち悪い」と言われた痣を自ら切り裂き、また事件の日に再び刺した傷痕がある。一方の巧の背中には、パパラッチとして撮影した人数分彫ってきたダリアの葉のタトゥーが絡みついている。巧もまた、愛する家族の事故死という受け入れられない不条理を引きずっているのだ。二人の身体に刻まれたこの傷は、赦すことのできない自らへの戒めであり、心に負った傷を表している。自分の弱さを毎日鏡越しに目の当たりにする生活とは、どれほど苦しいものだろうか。

 二人の傷痕、逃避行で立ち寄った長瀞の夕暮れと星空、事実をもみ消したい雄一の事務所の人間とのカーレースや肉弾戦など、映像で見たいと思わせる描写が散りばめられている小説である。頭の中で情景を想像するだけでは飽き足らず、読者は勝手に色を塗りながら読んでしまう。「シャッターを切ろうとした瞬間、汚らしい軽トラックが荒々しく歩行者に突っ込み、人々はまるでドミノ倒しのようになぎ倒される。血まみれでぐしゃぐしゃの交差点。」巧の脳裏をよぎる悲惨な事故の様子さえも目に浮かぶから、胸が締め付けられる。

 加藤シゲアキはジャニーズの人気グループNEWSのメンバーであり、自身もこれまでに何度も挫折を味わってきた。決して目立つ存在ではない。天才でもない。「お前の魅力ってなんだ」と亜紀子に問う、生と死の狭間を彷徨うジャック・オ・ランタンは彼の中にもいたのだろう。芸能界を舞台に、彼の趣味である写真とサブカルがこれでもかこれでもかと詰め込まれた作品である。作者の影を感じずに読むほうが難しい。決して美しくない、汚いことも生きるためには厭わない、がむしゃらに生きる亜紀子と巧。Faction――事実(fact)と虚構(fiction)の入り混じる物語にさらけ出された本音は、加藤自身の覚悟の表れなのだ。

一ヶ月の逃避行の末、過去と向き合う決意をした二人は渋谷のスクランブル交差点でゲリラ撮影を敢行する。ユウアを失ったあの事故の夜と同じシチュエーションでカメラを握り撮影を成し遂げることで、トラウマと決別するため。自分の魅力がわからず、自分を信じられなかった過去を清算するための強い決意。計画は成功、過去から解放され夢中になって撮影をする巧と亜紀子、その様子を撮影する一般人とパパラッチのカメラのフラッシュ、クラクションを鳴らす自動車のライト、オーロラビジョンの光やビルの明かりが交差するここは、閃光スクランブル――

 「飛行機と似てると思うんです。芸能界とマスコミは。空を飛んでいるのを下から見るとすごくゆっくりに思えるけど、本当は時速千キロとか。きっと、そうでないと飽きられてしまうんですね」そんな世界で、自分の居場所を守るには必死でしがみつくしかない。一旦、全てを投げ出して逃げて、世界に置いていかれる時間が二人には必要だったのだ。

そうしてでも戻りたい場所が二人にはあった。亜紀子にはペンライトの星の海が見えるステージ、巧にはユウアが教えてくれた、たった一枚の二次元ながら人や物の背景や過去が、そして未来までも透き通って見える写真。本当にやりたいことに背を向けて、自分を抑えて生きているのは死んでいるのと同じことだ、と何度も何度も諭される。

“Life isn’t always what one likes, is it?” 再びステージに戻った亜紀子が巧に歌う。人生は必ずしも思うようになるとは限らない。その度に逃げ出しても、死ぬ方が生きるより楽でも、覚悟を決めて向き合えばいくらだってやり直せる。恰好つけてばかりじゃいられない、華やかな世界の影にある、そんながむしゃらな泥臭さが、背中を押してくれる作品である。

 

2014.7.24.(当時大学3年)

時間を掛けて書いた分、ピングレより幾らかましな言葉選びをしているかなって感じ。傘アリとかファンタジー色が強くなると感想書くのも大変になるんだけど、いつか全制覇したいなーって思ってます。